The Beginning EVE 小次郎編 第六話 199X.4.14 突然の暴風雨 雨水が滝になった、渋谷公園通りの路上 |
朝からものすごい土砂降りになった。 オレ様の気分にピッタリのBGMだ。アスファルトの粗い粒子の上に大粒の雨が叩きつけられては悲鳴のような音を上げる。ひっきりなしの悲鳴。滝になって流れていく濁った雨水。 履き古したジーンズはぐっしょりと雨を吸って、歩くオレの足を重くする。ただでさえ寝不足の頭は重くてグラグラし、首の上からいまにも転げ落ちそうな感じさえする。 さすがの天城小次郎も、あれだな、寝不足と天候不良のダブルパンチにゃ、ちょっとまいるな。 男物の雨傘をちょっとかたむけて、開店休業状態のクレープ 屋の窓を叩く。三回も四回も叩いて「おーい、お客さんですよ。かわいい女子高生ですよ、イチゴとチョコソースのクレープ一つぅ、なんてなー」とブツブツ言っていると、渋々という感じでガラスの引き戸が開いた。 アルバイトの若い男が、面倒くさそうに顔を出す。 「なにか?」 「今日は随分空いてるな」 「この天気じゃね」 男は、注文するのかよ、というように胡散臭そうにオレを見上げている。オレはニコニコしながら「ところでさ」と言った。 「昨日ここを通ったら、同じぐらいの時間なのにすごい繁盛してた。女の子が列を作ってただろ」 「あー、いつもはね。あいつらは、痩せたいって言いながら甘いモンはガンガン食うんだ。それで食事は抜くんだよ」 男は「あのブタども」と悪態をついた。機嫌が悪いらしい。 「あの女の子たちはどこから湧いてくるんだ? このへんに買い物にきた子たち?」 「夕方はそうだけど、あの時間なら、そこの、ほら……」 男は少し体を起こして、オレの背後にあるグレーの細長いビルを指差してみせた。 「あのビルに入ってる美容専門学校のヤツらだよ。午前中の授業に出る前に、朝飯代わりにクレープを食うってワケさ。おかげでこっちは繁盛してるけど、ヤツらはニキビに脂肪にって、ブスになる一方。まったく……」 男のグチが長くなりそうだったので、オレはそれを遮って訊いた。 「昨日、黄色いワンピース着た子がいたの、覚えてないか」 「あぁ、あの子ね」 男は目を細め、笑った。 「あの子はツナ&レタスとかペッパーハム&キュウリとか、食事っぽいヤツを毎回頼むね。甘いの嫌いなの? って一回訊いたら、好きだけど食事は食事だから、って言ってた。いい子だね、うん。ちゃんとした家で育って、仕付けされてるって感じだな」 「……あ、そう」 オレは頷いた。メモを取っていた桂木探偵事務所手帳をポケットにしまう。 いい子かどうかはこの際どうでもいいんだ。このクレープ屋の好みもどうでもいい。 オレは礼をいって、クレープ屋の前を離れた。 グレーのビルの前まで、大きな雨傘に隠れるように首をすぼめて歩いた。 美容専門学校の看板が出ている。カラフルな模様で囲まれた看板が、薄暗い暴風雨の渋谷でそこだけ妙に明るく見えた。 昼休みまでまだしばらくあるようだった。傘を閉じてビルの壁により掛かり、手持ち無沙汰に頭をかいていると、横に男が立った。 昨日、オレに警察手帳を見せた男だ。目つきの鋭い、小柄なのにどっしりと妙に落ち着いた男。レインコートが水をはじいて、ビルの床にさらさらと流れ落ちている。 条件反射のように、心臓がどっきんどっきんと打ち始める。 昨日、話しかけられたときには二言、三言話しただけでオレはスタコラ逃げたのだった。二日続けてこんなところで会うとは……。オレはヒクヒクする瞼を前髪で隠そうとうつむいた。 「どうも」 男……安田刑事は低い声で言った。 「は、誰でしたっけ」 「昨日の刑事ですよ。とぼけたフリはやめなさい」 「いやー別にとぼけてるわけじゃ。あ、そういや昨日会いましたね。こんな薄暗い日は、オレ鳥目なんで、よく見えないんですよー、あはあはあは」 「鳥目の原因はビタミン不足です」 「………………は、ぁ」 どうも調子の狂う男だ。 安田刑事は、ジャケットのポケットから煙草を出し、くわえてカチッと火をつけた。オレを横目で見て「吸いますか?」と訊いた。 「いや」 「あぁ、そう」 安田刑事はおいしそうに一服吸って、水のカーテンのように降り落ちる雨に目をこらした。 「いま、例の和D−53号……世間を騒がせている偽一万円札事件を担当してるんです」 どっきん。 「は……ぁ。そうですか」 オレはあいまいに相づちをうった。 「この事件には裏があると睨んでいます。ただの金目当ての単独犯とは思えない。なにかある。そして、それに関わっている人たちの中にも、多くを知らずに巻き込まれているだけの人間がいるはず……」 チラリとオレを見る。 「私は真相からそう遠くないところにいる。自分ではそう思っています。贋幣班の中では浮いてましてね、今回も勝手に単独捜査してるんだが」 「そーですか」 「なにか困ったことがあったら、連絡下さい。もしくは、なにか……」 男は煙草をピッと投げ捨てた。外の土砂降りの真ん中に吸い殻が落ち、雨粒によって容赦なく残り火の赤が消えた。 「情報があれば、私に」 「はぁ」 オレは前髪で顔の上半分を隠しながら頷いた。 ヒクヒクと痙攣する瞼を、去っていく安田刑事に見られたくなかった。 何か困ったことがあったら……? 馬鹿野郎、言えるかよ。 オレはビルの壁を乱暴にけ飛ばした。 こっちは、弥生を人質に取られてるんだぞ。なにも言えるかよ。 小一時間もすると、空はカラリと晴れて、嘘のように雨は上がっていた。 昼休みになったらしく、美容専門学校のドアから、次々とカラフルな服装の若いヤツらが飛び出してくる。昼飯でも食いに行くんだろう。 その中をオレは、目をこらして一人の少女を捜した。 昨日と別の服装をしていたら、みつけるのは難しいかもしれない。尾行術の一つに、尾行対象を「骨格で記憶する」というヤツがある。服装や髪型で認識して いると、コートを脱いだりカーディガンを羽織ったり、帽子をかぶったりなんて変化で、かんたんに見失ってしまう。だから、骨格だ。なにを着ても、どんな ポーズを取っていても、骨格だけは変わらない。おやっさんはそう言ってた。 だが、その骨格記憶法をもってしても、昨日の少女をみつけるのは困難だった。これだけ同世代の女の子が大勢いる中だと、やりにくい。オレは少し焦り始め た。入り口から出てきたヤツらが一段落し、人気がなくなり……コイツは見逃しちまったかな、と思い始めたとき。 しょんぼりした足取りで、コツコツと……その少女が出てきた。 昨日とはちがう、クリームイエローのブラウスに、白いミニスカート。 清楚で、若々しくて……確かに昨日の子だ。 「お嬢さん、ちょーっといいかな?」 声をかけると、少女はまんまるの瞳をしばたかせて、オレを見上げた。 しおれた花みたいに元気がない。 「昨日、キミがさ、そこの交差点で声をかけてた人のことなんだけど……」 言いかけると、少女はふいに目を見開いた。ギョッとするぐらいの勢いで、雨でしけったオレの上着をひっつかみ、顔を寄せる。 すがりつくような顔だった。 誰だって、この子のためになんでもしてあげたくなるような、無垢な、必死な顔だ。 「なっ…………んっ?」 とまどうオレに、少女は顔を近づけ、泣きそうな、震える声で言った。 「兄を、知ってるんですか?」 <to be continued……> |