The Beginning EVE 小次郎編 第七話 199X.4.18 じっとりした夕方 渋谷センター街のゲームセンター |
「また……あなたですか」 専門学校から坂を下って出た渋谷センター街。若者でごったがえすゲームセンターの一階で声をかけると、少女は振り返って、固い顔でうつむいた。 最近流行のUFOキャッチャーの前に立ち、困ったように、オレの顔を見まいとしている。 オレはUFOキャッチャーを覗き込んで「これ?」と訊いた。アニメキャラのぬいぐるみが入っている。 少女が頷いたので、オレは小銭を入れた。何度かチャレンジして、無事にぬいぐるみを取ることができた。少女に向かって軽く投げると、彼女は思わず受け取って、それからまた、困ったようにオレを見た。 「名前ぐらい教えてよ」 「でも……」 「もう、無理にお兄さんのこと、聞きだそうとしないよ」 あれから 四日間もつけ回されて 質問責めにされたら、誰だってイヤになるだろう。オレはソフトに行く作戦に出た。これ以上ないってくらい“いい人”な顔をつくって、少女に笑いかける。 「どうして……」 「ん?」 「どうしてそんなに必死なんですか。なにかわけがあるの」 「あぁ、そりゃ、あるさ」 「なにが? お金? それとも情報?」 オレは少女の顔を見た。彼女の顔には猜疑心が浮かんでいた。理由はよくわからないが、彼女は大人の男に対して、なにやら構えているところがあった。よか らぬことを企んでいるに違いない、なんらかの利益を見て行動しているに違いない……そんなふうに疑って構えているように見える。 「恋人が危険なんだ。彼女を助けたい」 短く言うと、少女の表情が変わった。目を伏せて、手の中のぬいぐるみに相談するかのようにみつめている。それからゆっくり顔を上げた。 「それ、ほんと?」 「ああ。嘘じゃない。恋人のためだ」 少女はオレをじっと見ていた。 ゲーセンの喧噪が、二人の回りだけ遠くなっていくような気がした。少女はぽってりした唇を開いて、なにごとか呟いた。 「え、なに? きこえない」 「……中原、香奈子」 と、少女は名乗った。 「兄……に、似てたんです。横顔が。ただ、それだけ」 マクドナルドの隅の席。ガラス張りの窓からセンター街の喧噪が見下ろせる席で、香奈子はポツリポツリと話し出した。 「でも、自信ありません」 「どうして?」 「だって、もうだいぶ…………だいぶ、会ってないから」 コーラを抱え込むようにして飲みながら、うつむく。 「だいぶって?」 「十年」 オレはへっ? と聞き返した。 香奈子は顔を上げて、もう一度「十年」と言った。 「どういうこと?」 「兄は……中原光嗣は、急に消えたんです。ほんとに、ある日突然。うち、実家は新潟なんです。十年前まで、兄は実家の印刷会社を経営してました。東京の大 学を卒業して、都内の企業に一度は就職したんですけど、親元に戻るように言われて……。あの日、兄は夜、自家用車ででかけて……友達と飲みに行く約束をし てたらしいんですけど、約束の場所にこなかったんです。家からそこまでは車で十分とかからないし、一本道だし……なにがなんだかわかりませんでした。 あのころ、同じような行方不明事件が、何件も起こったんです。最近はあまり報道されないけど……」 オレはコーラをズズズッと飲んだ。……閃く。 「北、か」 「はい。北朝鮮による日本人拉致説です」 「しかし…………」 「もちろん、わかりません。兄が北朝鮮に連れていかれたのか、それとも、実家の経営がイヤで、突然どこかに蒸発してしまったのか。兄は頭のいい人で、勘も いいし、なんていうか……子供心に、とてもはしこい人だって思ってました。小さな印刷会社で収まってる人じゃないって」 隣のテーブルの高校生グループが立ち上がって出ていき、急に、マクドナルドの中は静かになった。香奈子の声だけが響く。 「でも、あたしはこう思ってるんです。兄は北朝鮮に連れていかれちゃったんだって。自分の意志で消えたんじゃないんだって。そうじゃないと、辛い……。兄 がいなくなって、会社は傾き始めて、ここ最近のバブル崩壊でますます苦しいし、それを兄が、遠くで黙ってみてるだけだなんて思いたくない。 兄にはどうしようもないんだ、だって、遠いところに連れていかれてしまったんだから。父も母も、そう思ってます」 「じゃあ、こないだ君がみかけた男は?」 「兄じゃない。よく似た、別の人」 香奈子はフッと笑った。 その顔を見て、オレは、香奈子が先日の男を、兄の中原光嗣だと確信しているんだとわかった。寂しげな、あきらめたような顔。若くてかわいらしい香奈子の顔には、おかしいくらい不似合いだった。 「お兄ちゃんのこと、どう思う?」 「大好き。……大嫌い」 「ん?」 「どこかで、不幸でいるんなら……北朝鮮で大変な暮らしをしながら、日本に戻りたいって思っててくれるなら、大好き。日本のどこかで、自分だけのんびり、 楽に暮らしてるなら、大嫌い。この十年の、父と母の苦労を知らないで、のほほんと生きてるなら、許さない」 言葉と裏腹に、香奈子は無邪気な、キョトンとしたような顔をしてコーラを飲んでいる。オレは桂木探偵事務所手帳を胸ポケットからだし、挟んであった写真を撮りだして、白いテーブルの上にスッと置いた。 「この女性、知ってる?」 香奈子は、ゆっくりとコーラのストローを口から離した。 魅入られたように写真をみつめる。そっと触れないと噛みつかれるとでもいうように、恐る恐る手にとって、穴が開くほどみつめた。 「…………レイちゃん、かな」 と言って、まんまるの瞳でオレを見上げる。 「知ってる人?」 「兄の、高校のときの同級生。だいぶ雰囲気が変わってて……ううん、別人みたいだけど。あたしの知ってるレイちゃんは、きれいで、なんかかわいらしい人で……。兄とはずっとつきあってた。二人は恋人同士だったわ」 オレは深く息を吐いた。 やっぱり、大当たりだぜ。なぁ? テーブルに置かれた写真に、無言で片眉を上げてみせる。 写真には、長い髪をたらした、八坂玲子のバストショットが写っていた。 渋谷から地下鉄に乗って、沿線のある駅を目指した。 香奈子が教えてくれた、いまは使われていない、中原家の親類の家がある場所だ。 中原光嗣が、東京の大学に通うとき、間借りさせてもらっていた家。八坂玲子も都内の短大に進み、二人は交際を続けていたらしい。 ようやく、少しだけ手応えがあった。その家は、オレのマンションの窓から見える方角……先日、中原光嗣が電話で指示をしてきたとき、部屋の中のオレを観察していた方角ぴったりにあった。 この手応えが、正しい勘であればいいが……。 五日前。あの男に直接会った日。オレは一つの選択をした。 あの日、オレの前には三つの道があった。一つは、男の言うとおりに、全国津々浦々回って偽札を換金し、弥生を解放してもらう(しかし男がそうする保証な どもちろんない)。一つは、すべてを警察に、つまりあの贋幣班の刑事に話す。そして、最後の一つは。 戦う。 オレはもちろん、三つ目を選んだ。勝算があるかといわれれば、あるぜ、と言い切ることはできない。ただオレはどこかで信じていた。 弥生はオレを待ってるんじゃないかと。 スーパー探偵のオレ様が、ヒーローよろしく登場すると、子供みたいに信じてくれてるんじゃないかと。 だからオレは、戦うことにした。 もう後には引けなかった。中原光嗣の命じる換金作業をほっぽりだした手前、弥生の命の保証などもうできない。おやっさんの留守中に弥生がさらわれ、もしものことがあったら……オレだって生きていられるもんじゃない。 命がけの勝負だ。 そして、必ずオレ様が勝つ。そういうことになってるんだよ、そう、必ず……。 日が容赦なく暮れていき、駅で降りて早足で歩き出したときには、辺りは漆黒のような闇に包まれていた。 闇はシンと静まり返り、固唾を飲んだ沈黙のような妙な緊張感をはらんでいる。オレはそれに飲み込まれまいとした。弱気になったら負けってのも、おやっさ んに叩き込まれた探偵術の初歩の初歩、己の精神のコントロールにあった教えだ。オレは口笛をふきながら歩き続けた。 必ず、勝つんだ。 オレ様の勝ちだ。 ……自動販売機をみつけて、走り出しそうな早足だったオレは、立ち止まった。 小銭を入れてボタンを押すと、シンとした路地に、ガタガタガタッ……と、自販機が出す音が響きわたった。オレは缶コーヒーを手にとって、その冷たさを手に感じながら歩き出し、やめて、立ち止まった。 プルトップを引き、その場でゴクリと一口飲む。 こういう、手持ち無沙汰で、どこか不安で、時間を持て余すような……こんなとき、喫煙者ならおもむろに煙草の箱とライターを取り出し、一服するんだろう な。瞼に、夜明けの桂木探偵事務所で、徹夜仕事で青ざめた頬をした弥生が、顔にかかるロングヘアをかきあげながら、ポケットをまさぐる姿が思い浮かんだ。 煙草を吸う姿がサマになる女はそうはいないが、弥生はなかなかだった。口にくわえ、ちょっと遠い目をして、細い指でライターを掲げる。そしてゆっくりと目 を閉じて、火をつける。一口吸うとき、睫が少し震える。そして夢からさめたようにぼんやりと目を開け、また、いつもの弥生に戻る。 繊細な、女性的な、それでいてどこかクールな喫煙。 …………オレは意外と弥生のことをよく見てたんだな。自分でも、こんなにもありありと浮かぶ彼女のいる風景に、とまどってしまう。オレはため息をつき、また急いで歩き出した。 弥生。 まだ生きているだろうか。 弥生…………。 <to be continued……> |